三男の腹痛から規制緩和の矛盾について(令和4年5月19日)


クスリを正しく有効に使うには、色々な知識が必要です。使い方を間違えると、症状の把握が難しくなることもあります。
こんなことがありました。

三男の学校から連絡があり、救急車を呼んでよいかと聞かれました。
その理由は腹痛で、店を閉めて学校へ向かったのですが、運転しながら救急車を呼んでもらえばよかったとも思いました。ところが間もなく学校に着こうというところまで来て、息子からLINEに連絡が入ってきました。
「今痛みが収まってるから授業でる。様子見でお父さんは保健室に来て欲しい」
とにかく保健室に向かうと、担任の先生と養護の先生だけがそこにいて、本人は既にいませんでした。
先生の説明によると、電話をくださったときには、それこそ「ただ事ではない」という感じになってきたのですが、急に「痛くなくなった」とケロリとしてしまったのだそうです。仕方がないから「じゃあ帰ります」と申し上げると、
「女の子から痛み止めをもらって飲んでるようなんですよ。痛み止めが効いて楽になっているということはないでしょうか?」
こんなことを仰る。その痛み止めとは何なのか?先生は確認していませんでしたが、おそらく女の子なら生理痛に備えた消炎鎮痛剤でしょう。空腹時に飲んだために胃の粘膜に潰瘍を生じ、症状を悪化させて救急車騒ぎになったのか、それとも本当に消炎鎮痛剤が効いて楽になったのか、時間的にはどちらも考えられます。もし効いているなら大変です。虫垂炎のような腹腔内での炎症が原因になっている可能性があるからです。
生理痛以外の日常的に起こるお腹の痛みには消炎鎮痛剤は効かず、別の薬を使います。心配になり校内に待機せざるを得なくなりました。
授業後に三男がポケットから取り出したPTP包装には「イブA」とありました。消炎鎮痛成分に加えて鎮静成分も入っている市販薬でした。
消化器を専門にして血液検査をすぐにしてもらえそうな医療機関に行かせると、ドクターはやはり虫垂炎を心配して血液検査をしました。幸い、炎症反応も白血球数も異常がなかったのですが、それでもドクターは気になるようで、三男にしばらく様子を見るように言ったそうです。とりあえずは直ちにどうだということはなく、これでようやく安心することがでました。

実はお得意様の電話でのご相談で、同様の誤薬から本当に虫垂炎の発見につながり、早く手当てができたことがあります。
規制改革推進会議では、緊急時のためにお薬をどこでも便利に買えるようにすることを重視しますが、本当の緊急時には結局受診するしかないのだと思います。
その「緊急」が、市販薬を使ってよい緊急なのかを判断するのは非常に難しいことで、ある意味で専門家として一生のテーマなのに、津々浦々出店しやすいくしたいから専門家を増やすために実務経験の規制を緩和しろだなんて、分かってないんですよね。





タウンニュース(足柄版)で紹介してくれました(令和3年10月18日)


タウンニュースが、7月10日と10月18日の足柄版に紹介してくれました。
が、せっかくの機会だったのに、薬屋としてのアピールがあまりできていない・・・
10月18日人物風土記 今井 雄一郎さん | 共栄書房から「山鳥の魔力」を出版した | 足柄 | タウンニュース (townnews.co.jp)
10月18日南足柄市在住今井さん 「山鳥」に魅せられて 本を出版 | 足柄 | タウンニュース (townnews.co.jp)
7月10日県保健衛生表彰 足柄上地域から5人が受賞 | 足柄 | タウンニュース (townnews.co.jp)


国体中止(令和3年8月25日)


県内上位4人が出場できる、国体予選の最終戦でもある関東ブロック大会。出場したスキート種目で団体3位、トラップとの総合成績でも3位に入ることができ、最高の想い出になりました。出場の記念にオリンピックのチケットを頂いたので、写真を選んで一緒に飾りました。
恩人の故渡辺幹也さんとその奥様に顛末の報告しに行きたいものだ・・・こんなふうに思ったところに国体中止の発表がありました。
あの予選会は何だったのか?
2年かけて昨年11月、奥様の依頼で渡辺さんの三回忌に合わせて『国体を取り戻そうとしたクレー射撃選手』を書き上げました。その過程で、自分自身「もと国体選手」という昔話をして射撃人生を終えて良いのだろうかと思い始め、これが最後のチャンスかもしれないと思い、練習もしないで22年ぶりに6回の県内予選会に出始めたのです。
そんなわけで、私にとっては関東ブロック大会出場できただけでも意味のあるイベントだったのですが、各都道府県で予選を勝ち残った正選手たちの喪失感はいかほどでしょう。
『国体を取り戻そうとしたクレー射撃選手』を書き、それをきっかけに予選に出た私の目には、象徴的すぎる終わり方になってしまいました。いま思うことは、
「多くの大会が中止され、目標を見失ったアスリートが大勢生まれた。その皆さんが、それぞれに次の向かうべき場所を見つけ、変わらぬ努力を続け、後悔のない人生を築けるよう祈る。(『国体を取り戻そうとしたクレー射撃選手』より)」
こんな感じです。


こんどはお客様宅で救急車を呼ぶ(平成30年12月4日)


夜の8時頃に配達に伺ったお宅で救急車を呼びました。
体調が悪いとき、受診しようか様子を見るか、逡巡することは誰でもあると思います。特に救急車を呼ぶか呼ばないかは、それが救急車を呼ぶほどの病状なのか、一般の方にはわからないのですから。

電話で配達を頼まれたとき、すでにこんなことを仰っていました。
風呂に入ろうと靴下を脱いだら、明らかにいつもと違う浮腫み方をしているとのこと。そういう事情だと心機能の低下は明白なので病院に行くように申し上げました。ところが、「19日に予約してあるから・・・」とかなんとか・・・。
よほど苦しいとか痛いとかでない限り、予約してあると、皆さんそこまで我慢しようとします。主治医がその曜日でないといないとか、予約以外で受診するとえらく待たされるとか・・・。
そんなに待っていてはいけないと申し上げると、
「じゃあ、7日にリハビリがあるから、そのときに言うよ」
「じゃあ」ときました。明々後日のことです。
「じゃあ」と言われると、こちらも「じゃあ」と交渉に乗ってしまう。私も押しの弱い人間なのです。

車に荷物を載せてシートベルトを締めながら、状況によってはその場で病院にお連れしよう。小雨の降るなか、そう考えながらクルマを走らせました。
門前にクルマを停め、商品はクルマに残したまま呼び鈴を鳴らしました。出てきたのはご本人。歩いて玄関の外へ出てこられて、「はあ、はあ」「ぜー、ぜー」しながら、「脈が飛んじゃってんだよ」と、仰る。私は免許証入れに常備している敬震丹を出して「とりあえず」と、一片渡す。お客様はそれを、餌を待っていた雛鳥のようにすぐに口に運んでかじる。その様子を見て私は決めました。
「病院に行きましょうよ」
すると、その言葉を待っていたかのように、
「お母さん、やっぱり病院に行った方が良いって」
と、玄関から台所にいる奥様に。奥様は寝耳に水という感じで、びっくりして出てこられました。
スマートフォンから119番。急に雨脚が強まり、土砂降りのなか救急車は到着しました。奥様の支度が整うと、ちょうど雨も小降りになり、お二人は救急車へ。向かう病院は掛かり付けの循環器病院になった。運がいい。私も救急車の後を追ったのでした。

お客様はそのまま入院となりましたが、元気になって退院されました。


久しぶりに赤ちゃんを抱く(平成30年8月5日)


つい先日のこと、なかなかお子さんができずにご相談にみえたお客様が、
「お久しぶりです」
と赤ちゃんとご来店くださりました。
お母さんの方は43歳で初産ということもあり、ひと月ほど早く出産、無事退院されたので報告にお立ち寄りくださったのだそうです。
よその赤ちゃんなんて怖くて抱けないんですけど、今回はさすがに嬉しく、お願いして久しぶりに抱きましたました。この手の大きさを見てください!可愛いですね。




日本の医薬品の素晴らしさを知ってほしい(平成30年6月28日)


外国人観光客が日本の医薬品をたくさん買って行かれることはご存知だと思います。日本の医薬品は素晴らしいのです。

これをお読みになっている皆さんは、疾病の診断・治療又は予防、身体の構造又は機能に影響を及ぼすこと、これらのうちのいずれかを目的とする物であれば、それは法律に定められた品質、有効性及び安全性を厚生労働大臣に示し、医薬品として承認を得る必要があるということをご存知でしょうか。

逆に医薬品を、承認された効能・効果に対して用法・用量を守って使用すれば、全ての方というわけにはいきませんが、多くの方がその恩恵を、安全に享受することができるのです。

だから「医薬品である限り、承認の範囲であれば品質、有効性及び安全性が高い」という信頼を維持するため、その信頼を低下させるおそれのある誇大な広告や誤解を招く広告を厳しく制限されます。

さて、ここにお示しした新聞広告をどう思われますか?
本来であれば医薬品として承認を得るべきところ、「認知機能の一部(記憶・判断)を向上させることが報告されています。」と述べ、報告されたものと同等であると主張している食品(機能性表示食品=事業者の責任で表示・消費者庁へ届け出・審査は無し)です。
お時間がある方は、私が講師を務めているビデオ(約5分)をご覧ください。薬屋は日本の医薬品の素晴らしさを知っていますから、食品ではなく医薬品をお勧めします。そして承認されている効能・効果の限界をよく理解したうえで、必要があれば受診をお勧めします。それが薬屋の仕事だと思っています。

国民の皆さん、薬屋さんに相談して、ちゃんとした裏付けのある日本の医薬品をつかいましょうよ。




著書『狩猟日誌』、市内中学校・高校に寄贈(平成299月29日)


地元猟友会の中でこう言われます。
「地元の若手と言えば今井さんとT君くらいのもんだぞ、どうすんだ?」
私が所属する団体、こんなのばかりです。
いくつかの要件と試験に合格しなければ、ハンターにはなれません。
大人の人口は急には増えない・・・それほどではないにしても、ハンターの人口も急には増えないのです。思い立ってもすぐには始められないじれったさも手伝っていると思います。
結局は時がたって芽が出てくるように種をまくことが大事ではないか?
それで市内の中学校と高校に自分の書いた体験記を寄贈することにしました。メッセージを添えて。
自信のない汚い字でメッセージを書く・・・失敗は許されないのだからメチャクチャ緊張しました。それでも、
「猟友会に入ったのは、今井さんの本を学校で借りて読んだのがきっかけなんです」
そんなことが起こったら、泣けちゃうかも・・・。これ、夢のある話だと思いません?



本が出版されました!(平成298月22日)


趣味というか、社会貢献にと始めた狩猟の体験記『狩猟日誌 元射撃選手がはじめて鹿を仕留めるまで』という本が、運よく出版されるに至りました。
私の住む地域は鳥獣外の被害届がすごいのです。獲っても獲っても畑は荒らされる。そういう事情を聞いて狩猟免許を取りました。
ご興味のある方、徳善堂に在庫がございますのでお立ちより下さい。税込み1,620円です。
うちで買ってくださるお客様には、ご要望に応じてサイン、メッセージを書かせていただいております

【本の帯】
「あーっ、またしても逃げられた……
クレー射撃の実績を買われて狩猟に誘われ、鉄砲を担いで山に入ったものの……
想定外の出来事と迷いの連続、獲物と対峙して引き鉄をひくまでに揺れる心。
狩猟の世界で遭遇する新たな体験に魅せられた中年ハンター、3年間の記録」




笑いヨガ(平成281月12日)


12月19,20日と、9時半〜17時まで水道橋の一室で缶詰になって“笑いヨガ”を習ってきました。
「良い薬はないか?」と相談されても、生活習慣や意識をあらためることが重要な場合もあります医薬は補助なのですから。
それで自分自身の治す力を高めるメニューの一つとして、“笑いヨガ”をお勧めしようと考えています。ヨガの呼吸法を取り入れた、主に笑いの筋肉を使う健康体操。当然笑っているように見えます。傍から見ると怪しいかもしれませんけど・・・。



最後はおまじない(平成277月22日)


3男は18日の市内幼・小・中音楽会でピアノの伴奏をすることになっていたのですが、2週間前のドッジボール大会で指を床にぶつけて剥離骨折をしてしまいました。ドクターに事情を話したら機能的にはあまり問題の無いところだったので「ん〜、練習をするときには副木を取って、終わったらまた着けておいてね」とのこと。しかし、結局この副木を取ったり着けたりの面倒くささが後押ししてか、練習時間が極端に減ってしまいました。当日の朝に最後の練習をした時に6〜7回違う鍵盤をたたいたり音が出なかったりしていたのですが、その時点でそれをどうこう言っても仕方がないので、
「これをのんでおけば集中力が高まるから大丈夫だ」
と、救心製薬の“能活精”を与えておまじない。
結果は大成功。



脳卒中? 急にバランスが取れなくなった(平成277月10日)


先日、お客様が歩いてうちの店に来る途中で転倒してしまいました。
距離が近かったので通りがかりの親切な方が、そのお客様のご要望に従って店まで知らせに来て下さったので駆けつけてみると、意識もしっかりしていて言葉も問題ないのですが、急にバランスが取れなくなって転倒したとのこと。麻痺は見られず、力は入るのに何かに捕まらないと一人では立てないと仰います。それで小脳の異常が心配になり救急車を呼びました。付き添った妻の話しでは、検査した段階でドクターは「小脳かな?」と言っていたそうです。
脳卒中は、片側に起こる痺れや麻痺、ろれつが回らないなどの症状がよく記憶に留められていますが、小脳の異常では総合的な運動ができなくなり、バランスが取れないとかろれつが回らない等の症状が起こります。
また、くも膜下出血では激しい痛みが起こると思われがちですが、痛みは大したことがないものの起こった瞬間がはっきり分かる衝撃が前触れ発作として起こることがあります。その時にも躊躇せずに救急車を呼んで下さい。





親子3代で献血案内のお手伝い(平成27年3月25日)


15日の日曜日、小田原ダイナシティでの献血お手伝いに、父と私とチビの親子3代で参加しました。3人の内、献血できる私は今回28回目の献血もさせてもらいました。
「献血は16歳から64歳まですることができます。献血していきませんか?」
天候に恵まれたこともあり、69人もの方が受付をしてくださりました。
有難うございました〜!

※:年齢、体重によって献血バスではできない方もいらっしゃるのですが、献血認知度を高める意味で一般論でご案内しました。また、65歳になるまでの5年間に献血実績があれば69歳まで延長されます。





自然治癒力を高めるお薬の専門店(平成2612月15日)


店の宣伝はこれで行かせて頂きます。おそらく店の売り上げの半分以上が、10種類ほどのいわゆる滋養強壮薬だからです。その効能・効果は、
「次の場合の滋養強壮:虚弱体質,肉体疲労,病中病後,胃腸虚弱,食欲不振」
これに配合成分により「血色不良」、「冷え症」、「発育期」などが加えられます。
さて、その10種類ほどのお薬、当然それぞれ処方の意図があるわけですが、問題はその違いをどう説明するかです。それをホームページ上に書くと保健所から、
「効能・効果の範囲ではない」
とお叱りを受けるのです。そんなことを言われたって、それじゃあ「端から順番に自分に合うか試してみてください」って書けって言うのでしょうか?
それより、健康食品を何とかしてほしい・・・。


逆立ちして水を飲む(平成26年11月4日)


飲食物は重力によって胃に落ちるのではなく、消化管の蠕動運動によって胃に送られるということをご存知でしょうか?私もそれを実際に確認したことはなかったので、三男と四男と私、親子3人で逆立ちして水を飲んでみました。三男は途中で笑ってしまい一部を鼻から吹いてしまいましたが、上手下手はあっても三人とも成功しました。
中国医学では、胃の腑は口で食べた物を胃気により降ろし納める器です。脾臓はその飲食物を脾気により水穀の気を吸収して上方の肺に持ち上げています。さて、げっぷ、逆流、嘔吐は、この胃の「降」の働きが弱まっておこる「胃気上逆」という状態です。こんな症状でお悩みの方は、御相談下さい。


「根性」で治した・・・いいえ「薬」のおかげです(平成269月22日)


昨日の午後は3男の柔道の級審査でした。3回試合をするのですが、引き分け‐一本勝ち‐一本勝ち。3回目は五分五分で善戦の末、残り5秒で「まて」がかり、そこから体落しが極まったので私たち夫婦も大喜び。そんなわけでお陰様で3級に進級できました。
さて帰りがけ、お祝いにスーパーカップ(酒ではなくアイス)を買って家に帰ると、娘が7.9度あると言います。それに付け加えて「明日は絶対に学校に行きたいんだけど」と、私にプレッシャーをかけるのです。
症状聴いて脈を診て汗を調べて漢方薬を与えました。家族には、お客様に使うことがほとんどない強い薬でも、積極的に使います。布団にもぐってひと汗かいた後、薬を変えてのませ、今朝は平熱に。標題は熱を測った後の娘のセリフです。
ちなみに、末っ子も昨夜発熱。でも二人とも無事、今日も学校に行くことができました。しかし、これは薬屋の定めなのかと、少し不満もあります。父親の働きにも目を向けてほしいものです。
皆様も朝夕の冷え込みに風邪をひかないよう、服装や上掛けにご注意ください。


電話がかかって来ました。「楽天と申します」(平成26515日)


昨日、ついに電話がかかってきました。
「楽天と申します。漢方薬をネットで販売しませんか?今、販売が伸びてきていますから。」


医薬品は対面販売が基本だということでインターネット販売やカタログ販売はしないよう行政指導がなされてきました。私などは人の「疾病の診断・治療・予防」、「身体の機能に影響を及ぼすこと」を目的とする物なのだから当然だと思ってきたのですが、法律の不備からとうとうインターネット販売が制度的に認められてしまいました。
医薬品に対する観念の問題があるので、制度が変わったから「今日からはネット販売をする」なんてできません。勿論お断りしました。
 
「インターネットで薬を売る気はありません。インターネットで薬を売っても構わないと考えているお店に当たってください。」

お客様が訴える症状にどんな薬が最適か、病院に行ってもらうか。使用者にできるだけ試行錯誤させないつもりで、どれだけ勉強してきたことか。いくら勉強しても未熟だと思うばかりです。

市販薬は比較的安全だから、使用者に試行錯誤させても構わない?それとも、一般の消費者の知識・判断力はそんなにレベルアップしたんでしょうか。
ネット販売やカタログ販売で薬を売る人達、私には彼らが人の健康をどう考えているのか、全然わかりません。



大型バスを借りて、お客様と群馬県へ(平成26422日)


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20日、お客様39名と群馬県・赤城にある松寿仙の工場を見学してきました。これがメインなんですが・・・。帰りの道中には、明治5年に設立された官営模範工場の富岡製糸場を見学しました。

 昨年55日に横須賀の三笠記念艦に家族で行ったとき、
 「へ〜、六六艦隊は全部外国製なんだ・・・。でも、どうやってこんな軍艦を買ったのだろう?
と疑問に思い、小・中学生が社会科で習う「富国強兵・殖産興業」を勉強し直したら、当時の輸出品のほとんどが生糸。明治末期には生産量・輸出量ともに日本は世界一だったという・・・。
 つまり生糸で軍艦を買い、日本海海戦(1905527?28日)でロシアのバルチック艦隊に大勝したということです。


 明治時代になってわずか3年、明治政府は外国資本が流れ込んでくる前にフランス式最新鋭の官営模範工場を建設する計画を決定。富岡製糸場は1872年(明治5年)に完成し、以来1987年まで稼働を続けました。

「明治以降、色々な意味で今日の日本の出発点になった富岡製糸場には絶対に行かなければ!」
という望みを、お付き合いいただけるお客様のお陰で実現できました。とても楽しい旅行ができました。

 ところで今回、2年生になった末っ子も、頭のよくなる薬“能活精”をのませて連れて行きました。2月には私と二人、電車で新潟県南魚沼市まで行くことができました。
 この子が3歳の頃、1時間のバスの道中で飽きて暴れて途中下車させられる経験を何度もした妻は、「途中で飽きて暴れたら困る」と心配していましたが、今回も片道4時間近い道中、無事行ってくることができました。もう、どこまででも行けそう。

※:日露戦争当時の日本海軍連合艦隊の旗艦。戦艦6隻・装甲巡洋艦6隻からなる六六艦隊政策の最後に納められた艦。六六艦隊はすべて外国製で、三笠を含む10隻が英国製、他に独・仏が各1隻。




医薬品を買いましょう(平成2642日)



近、二酸化塩素による除菌グッズについて効果の根拠が無いとして、消費者庁から17社が処分を受けたというニュースを目にしました。
私も眉唾だと思っていたので仕入れなくて良かったです。

以前には、医薬品を取り扱う問屋が強壮を謳った「ビッグダン」という食品を売り込みに来たことがあります。
問屋:これは健康食品ですが、スゴイ効き目です。自分でも使ってみましたが・・・。
今井:そんなに効くなら何か入っているに決まっている。
問屋:そんなことはありません。男性ホルモンが入っていない証明書もあります。
今井:可能性があるのは男性ホルモンに限らないでしょ。いりませんよ、そんなの。ちゃんと医薬品の承認を取ってから出直しておいで。
3か月足らず後、バイアグラと類似の成分が検出されたと、厚生労働省のホームページに公表されました。

疾病の診断、治療、予防が目的のものは医薬品か医療機器として承認を取らなければなりませんが、強壮、痩身、アトピー性皮膚炎の改善などを謳った健康食品があふれています。
許可を取った薬屋さんで、承認を取った医薬品を買いましょう。



20年前の愛車の写真(平成26313日)

 

 “いすゞ自動車”は、今はトラックのメーカーになっていますが、ベレット、117クーペ、ジェミニ、ピアッツァなど、味のある乗用車を生産していました。私も20年前までは“117クーペに乗っていたのですが、最近、それらの車をいまだに大事に乗り続けている人たちがたくさんおいでだということを知りました。

 それをきっかけに持ち出した右の愛車の写真、背後に写っているのはうちでやっていた薬屋ですが、引き払って現在の店舗へ。
 長男が小学校の低学年の時、社会科のテストでこの写真のようなドラッグストアの店構えの写真※を示されて何のお店かを訊かれ、“薬屋さん”を選ばずに“コンビニ”を選んで“×”をもらってきました。息子には今の徳善堂の店構えこそが“薬屋さん”だったのですね。

 息子が“×”をもらったのにはちょっと腹が立ち、息子に「これが薬屋さんなら、うちが何屋なのか先生に聞いてこい」と。結局内気な奴なのでそのままに。
 薬屋の息子が「薬屋ではない」と思う写真を、平気でテスト問題にしちゃうくらい、今では一般にドラッグストアこそが“薬屋さん”なんだということになりますか・・・。
※1:その写真には「くすり」の看板はありませんでした。
 

 

 

足柄平野を囲む山の中で(平成26214日)

 

雪がよく降ります。

普段、店舗内に缶詰めになっているので、山に出かけるようになったのですが、こう毎週雪では・・・。

それでも、211日に市内と山北の山中を散策しました。

足を運んでみれば、動物たちの足跡をたくさん見ることができました。

下の写真、左の足跡はウサギです。手前から奥に向かって走っています。両足でジャンプして両手を前後にずらして着地、それらの手の前に足を着いて、またジャンプする姿を想像できますでしょうか?

右は、多分、向こうのやぶの中に続いているのはイノシシですが、シカの足跡もありました。

足柄平野を挟んで望まれた山々の景色も、とても綺麗でした。

 

 

 

 

「徳善堂の配達用車両」(平成251128日)


 お薬の配達は、閉店後にバイクでしています。一番遠いところで11km。先日は雨風が強くなり、結構怖かったです。写真は、雨に濡れたバイクを拭きおわったところ。

 このバイクは中国製のスズキGN125で、昨年10月に新車で20万円で購入。現在の125ccクラスは、マニュアル変速の国産車がないのだそうで、残念な気もしました(キャブレターには「MIKUNI JAPAN」とある)。
 ところで何故で購入したか?薬を一つ配達するのにステップワゴンでは、燃料使いすぎ、空気を汚し過ぎで、悪いことをしているような気がして・・・。それに、子供と二人乗りで出かけられるのは楽しみです。子供が多いだけに、二人だけになれるのがいい。

 でもまた、つらい冬がやってきます。真冬の夜は「気合い!」と叫びながら配達。今から及び腰です。
 走行はまだ1800km弱。ステップワゴンとの燃費差でペイするまでには、まだ何年もかかります。



発達障害(平成251021日)

 ここ数年、公益社団法人全日本医薬品登録販売者協会(旧 薬種商協会)の研修資料を作成をしています。生活の助けにはほとんどならないのに、こだわりが強いからか、能力がないからか、店や家庭のことはそこそこに、矢の催促を受けながら今年度分も8か月を費やしてやっと完成。
 うちには発達障害で特別支援学級に通う子供がいるので、これからのしばらくの間は、少し発達障害の勉強をさせてもらおうと思っています。
 勉強していて、人間は一人一人違った方法で同じことをやり遂げていて、本当は障害というより個性と考えた方が良いのだと思うようになりました。自分だって上述のとおり発達障害の素質が十分備わっています。トム・クルーズに失読症(Dyslexia:ディスレクシア)という学習障害があることを知った時には、目からうろこが落ちました。字を読むことはできるのですが意味と結び付けられないのだそうです。

 世の中には、自分には、或いは子供には障害はないと思いたくて、適切な対応ができず、親も子供も「どうしてダメなんだろう」と悩み、自信を失い、二次的に心の障害を招いてしまっているご家族が多いのだそうです。
 普通学級に通うお子さんだって授業、つまり支援を受けているわけですが、他の人とは違う支援が必要なだけ。得意・不得意は誰にだってあると考えれば、そんなに辛い思いもしなくて済むのですが、社会の理解も必要なのです。
 発達障害の一つ、ADHD(注意欠如・多動性障害)のわかりやすいホームページを知ったので紹介させてください。
→日本イーライリリー株式会社(ADHD用薬ストラテラの製薬企業)https://www.adhd.co.jp/
その中のこれから見たらどうでしょう(数分。10年後の続編もあります。)→https://www.adhd.co.jp/about/animation/default.aspx




子供の登校(平成25108日)


 毎日、特別支援学級の子供2人(一人はよそのお子さん)を連れて、小学校まで行っています。前後から自動車が来ているのに上り坂のカーブで車道に降りるものだから、さすがに「危ない!」と歩道につまみあげました。翌朝、登校前に鍋1個、ミニカー2台、レゴの人形1体、段ボール紙(歩道と車道を作成)を用いた劇を二人に見せ、注意してから登校しました。写真にとっておいたので、アニメーションにするとこんな感じです。
 
以後、どうやらカーブでは降りないようにしているみたいです。



子供の成長2(平成25920日)


918日の小学校の縄跳び大会(延べ何人跳べるか)に備え、1週間前から毎晩家族で、支援学級(通常のクラスにも所属しますが、支援学級に居ることが多い)に通う1年生の末っ子の特訓をしました。大勢の中に入ることに気後れする子なので、今回も運動会同様にクラスの練習にはほとんど参加せず(できず?)、ぶっつけ本番状態。
でも、2回引っかかったものの、5回跳べました。

色々な偶然の積み重ねでうまく行ったのです。
当日の朝を振り返ってみると、登校の時刻になって、
父:「宿題やっていない?それなら、学校についてからやろう。」


ところが、一緒に登校している子がこの日に限ってなかなか現れない。結果として余裕で着くはずが、支援学級の教室に着いたのは縄跳び大会6分前
担当の先生:「今から行けば間に合うよ。」
(クラス担任の先生=縄を回している と支援学級担当の先生は違う)
末っ子:「ぼくは行かない!教室で勉強してる。」

担当の先生:「冬にもやるから、無理しなくても。廊下の窓から見てる?」
と、先生はグラウンドへ。

父:「じゃあ、宿題やろう。急いでやれば間に合うよ。落ち着いてやろう。」
と、5分前。たぶん、登校前に「学校でやろう」と声をかけておいたのが良かったのです。
誰もいなくなった教室で、縄跳び大会の始まる前のBGMに後押しされて、『どっちが長い?』の算数プリントを「落ち着いて」と、急いでやって、名前も書いて1分前
父:「よっしゃ、完璧!間に合うよ。急いで行こう!」
末っ子:「じゃあ、お父さんも一緒に行ってくれる?」
父:「一緒に行こう!」
支援学級担当の先生は、うちの子が教室に居ると思っていたに違いありません。それがグラウンドに来て、クラスの友達に交じって、縄跳びを跳んでいるのに気付いて、さぞ吃驚されたことでしょう。しかも跳べているし・・・。

もし時間に余裕があり、宿題もなかったら、テンポよく切り替えをすることができず、教室で一人遊びを続けていたと思うのです。
でも、「きっとできる」と思っていました。
2年前、娘がこの弟のことを福祉作文で「なわとびもとべるようになると思います」と書いていたことを思い出し、涙ものでした。
http://www.knsyk.jp/s/tomoshibi_center/concour_award2011_07.html




子供の成長(平成2573日)


支援学級に通う末っ子の4男は、4月に入学してすぐ、歩いての通学を断念して自動車送迎に切り替えました。「だっこして」と、ひっくり返って、暴れて片道2時間ですから・・・。
ところが6月14日(金)から「歩いて行くよ」と、私と歩いて登校するようになりました。
21日(金)、雨だからプールはないだろうと、水着を置いて出発したら、途中で先生から電話が入り、「雨が少し降ってますがプールやります」と。
父「プールあるんだって!」
子「ヨッシャー!」
父「家に水着取りに行くよ。一人で先に行けるか?」
子「うん」
父「昨日の道を行くんだよ。雨が強くなったら傘をさしてね。」
私は走って水着をとりに自宅へ戻り、「はあはあ」しながら追いかけましたが、なかなか姿が見えません。角を曲がった彼方にやっと発見。「あそこまで一人で行ったんだ・・・」と、嬉しくなって思わず撮った写真です。
子供と一緒に登校なんて、5人目にして初めてです。カタツムリの角を葉っぱでつついてみたり、何かいないかと田んぼを覗き込んでみたり、石をひっくり返してみたりと、楽しい時間を過ごしてます。