クレー射撃に国体を取り戻そうとした選手
渡辺幹也記念館

このホームページでは、スキート射撃の往年の名選手、渡辺幹也氏を紹介していく予定です。

【体協除名と復帰】

「国体復帰の願望を担っているので、頑張ります」
これは、1973年3月15日の静岡新聞に載った、第2回メキシコ国際射撃選手権に遠征する渡辺さんの言葉です。

日本クレー射撃協会は、アマチュアスポーツの全国統轄団体としてふさわしくないと判断され、1970(昭和45)年11月に日本体育協会(現在の日本スポーツ協会)から除名されてしまいます。また、JOCの構成メンバーからも削除され、UIT(国際射撃連合、現在のISSF=国際射撃連盟)加盟権をも失うこととなりました。
つまり、国体、オリンピック、アジア大会、世界選手権大会等への出場ができなくなったのです。ちょうど今年、2020年のような状況が複数年にわたって続いたのでした。

渡辺さんは、日本クレー射撃協会の日本体育協会への復帰、ひいては国体等への復帰をかけて、麻生太郎氏らとともに第2回メキシコ国際射撃選手権大会に臨み、見事スキート・トラップ、団体ダブル優勝を勝ち取ったメンバーの一人でした(個人では5位)。

日本クレー射撃協会は、この快挙により年内に体育協会に復帰が叶い、翌年のアジア大会(テヘラン)ではトラップ団体優勝、スキート団体準優勝しています。もちろん渡辺さんも出場していました(個人4位)。

しかし、国体は何年も先まで出場競技が決まっているため、体協を除名されて3回、復帰後6回、計9回、正式種目として参加できませんでした。

私は20年以上前、国体を毎年の目標にしていましたが、国体も国際大会も、あって当たり前の目標ではなかったことを、いろいろ調査して実感いたしました。

現在、国体においてクレー射撃は隔年実施となっておりますが、選手役員の皆さんには、ぜひ頑張っていただいて、毎年実施に返り咲いてもらいたいと願っております。

第2回メキシコ
国際射撃選手権への
強化練習



表彰式のスキート団体
左から渡辺、加藤、麻生


スキート団体1位の
賞状とメダル



1974年のアジア大会
スキート団体の
銀メダル


この大会のスキート団体は、渡辺さん(4人による3位競射で5位)の他、加藤一義氏、麻生太郎氏(個人1位)。個人戦に石出広孝氏が出場。
トラップ団体は、葛城隆蔵氏(個人2位)、斎藤裕久氏、五十嵐芳三氏。個人戦には後のバルセロナオリンピックで銀メダルを獲ることになる渡辺和三氏が出場。


【消えた渡辺さん、「サラリーマンシューター」の人生】

若かりし日の渡辺さんは、長崎国体(69)2位、岩手国体(70)3位。今度こそはというときにクレー射撃協会は日本体育協会を除名され、国体がなくなってしまったのです。そして皮肉にも渡辺さんは、翌年から国体の代わりにクレー射撃協会主催で行われた都道府県対抗大会の1回目に個人1位になっていました。
そんな背景があって、渡辺さんは73年にクレー射撃に国体を取り戻そうと、第2回メキシコ国際射撃選手権大会に出場し、みごと団体優勝。国際大会初出場にして個人でも3番手のスコアであがる根性と集中力!
麻生太郎氏は国際大会の実績も豊富で、この大会で個人優勝もしています。この大会の主役は麻生氏です。しかし、この一連の出来事について言えば、渡辺さんを主役に据えなければドラマになりません。

体協に復帰できたお陰で翌年74年のアジア大会に参加が可能になり、渡辺さんも出場、団体戦惜しくも準優勝・個人4位。しかし歯科技工士だった渡辺さんは、これを最後に(あるいは「モントリオール五輪を前に」でもあるのかもしれません)大舞台から身を引きました。

そして、十数年の歳月を経て、子育てが終わった90年から国体(福岡とびうめ国体)、そして翌年には国際大会(ワールドカップ・イタリア・ロナト大会)へと復帰しました。私は人としてこの部分に感銘を受けます。
私が22年前、クレー射撃の神奈川国体参加辞退をきっかけに競技から離れたとき、渡辺さんが私にかけてくれた言葉は「人生にはそういう時期もあるよ」でした。渡辺さんは、お子さんたちを育て上げるまでの間、「国体にも世界にも、必ず復帰する」そういう強い気持ちを持ち続け、実現しました。そこが渡辺さんのすごいところ・・・だと思いませんか?


「大阪なみはや国体(平成9年)」に向けて須山射撃場で練習する渡辺さん


メキシコから帰国後、奥様と。
試合の朝は
必ず外まで見送った奥様。

1982年7月18日の
第三次山梨公式大会で
100ストレート!

平成4年のべにばな国体

静岡国体後に閉鎖されてしまった静岡県クレー射撃場の8番射台

このホームページの管理人:今井雄一郎
渡辺さんが選手として最後に選手として出場した国民体育大会、「大阪なみはや国体(平成9年)」のチームメイトです。家族を大事にする人生を選んだ渡辺さんは、私にとって手本であり人生の恩人でした。

拙著前作の『狩猟日誌』の関りもあり、渡辺さんのことを本に書かせていただくことになりました。

なみはや国体には、渡辺さんが山梨で
100ストレート出した銃で出場し、
個人4位、種目別団体4位に。

なみはや国体の夕食 
海鮮居酒屋 一心太助で、渡辺さんと私
著書
@『国体を取り戻そうとしたクレー射撃選手』
表紙写真
Amazonペーパーバックから11月10日発売。
税込み1,700円
巻末に、1951年からの国体と都道府県対抗大会の成績(トラップ及びスキートの団体・個人上上位入賞)も掲載。

渡辺幹也さんと著者が出場した平成9年大阪「なみはや国体」当時のスキート射撃を紹介。管理人は25枚中3枚外していますが、どこで外したかわかるでしょうか?(5分)

A『狩猟日誌 元射撃選手がはじめて鹿を仕留めるまで』(共栄書房)
新聞書評や特集記事で紹介されました。
読書会を主宰するよっし〜さんが、『読書メーター』で的確な評価をしてくださり、とてもうれしい。
知られざる狩猟の世界を、自身の経験談をベースに書き進めることで見事な狩猟世界への案内本となっている
☆新聞各紙書評・特集記事
日本農業新聞(H29.11.12)
北海道新聞(H29.10.1)
 著者より:「撃っても獲物に当たらない」ではなく、「撃っても逃げられた」と書いたんですが・・・
北國新聞(H29.9.30)、河北新報・信濃毎日新聞・京都新聞・神戸新聞 (H29.10.8)、日本海新聞(H29.10.9)、福井新聞(H29.10.5)、千葉日報(H29.10.17)山形新聞(H29.10.22)
 著者より:「シカの群れを犬と誤って見過ごした」ということはありません。すぐに気づいて撃ったし、当たりました。起き上がって逃げてしまいましたけど・・・。
日本経済新聞(H29.10.24 夕刊特集「都市部で狩猟? サバイバル生活の関連本が人気」)

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